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神が人を創り賜うたか【真・女神転生 STRANGE JOURNEY】 [考察 女神転生]

女神転生のような、神話存在が現実に登場する世界において、考えなくてはならないのは、
それらの存在がいつから、どのように存在するか?である。

世界各地には創世の神話が残されているし、様々な空想上の怪物、妖精などの伝承も残っている。
しかし、それらは人類の科学がこの地球、そして宇宙を明らかにするにつれ、
創作であることが分かりきっている。

アメノヌボコでかき混ぜて日本列島を作ったわけでもないし、日本列島を生んだわけでもないし、
天と地が創造神の死体からできたわけでもない。

真摯な信仰者は決して認めないであろうが、アブラハムの宗教の唯一神とて、世界各地の神話の神々と異なることなく、「人が生み出した存在」であろう。

では、女神転生の世界ではどう解釈したらよいのだろうか?


【真・女神転生Ⅲ】
『大いなる意思』は、他の神話の主神級の神々が通常の悪魔であるのに対し、抽象存在として、
アマラ宇宙の輪転の秩序を保つ存在として君臨している。もっとも、彼の御使いや、彼に反逆するものは、悪魔である。その点では、大いなる意思は現在圧倒的な力を持っているだけで、他の悪魔となんら変わらない存在なのかもしれない。
そんな彼は、聖書にあるとおり、人を創造した存在なのか、あるいは、人が信仰心によって生み出した神なのか?
ルシファーのような、人間を遥かに超越し、達観した視点から傍観、見守る存在すら、人の集合的、思念が生み出した存在なのか?
あまりそうとは考えたくはないものだ。

興味深いことに、真Ⅲには、アラディアという、異神が登場する。
アラディアは、虐げられた魔女たちが救いを求めてすがった虚構の神。
アラディアは、虚構とされた存在が集まるボルテクスから、アマラ宇宙を越えてこのボルテクスにやってきたよそ者。

アラディアの存在は、人の信仰によって創られた神と、その他の神を区別するようですらある。
しかし、結局は、信仰の強度の問題なのだろう。異端とされ、虚構とされるなら、その神は力を持つことも出来ず、虚構存在として霊的世界で疎外される。
そう考えれば、他の悪魔も信仰心によって形成された存在にせよ、十分な信仰があったからこそ、偉大な存在として君臨できる。(貶めれることもまたあるが)

【デビルサマナー葛葉ライドウ】
アバドン王では、『日ユ同祖論』がエッセンスとして盛り込まれている。
天斗紋はカバラの生命の樹がその由来となっている。
また、大国主の口からも、天津神はヘブライ神族の後ろ盾を持っていることが明かされる。(別件依頼)

現実の話でも、八幡(ハチマン、あるいはヤワタ)という、日本で広範に信仰されるこの神は、その起源がはっきりせず、一説には、西方系の渡来人がヤハウェ信仰を持ち込んだもの、と言われることもある。

「ヘブライ神族」や八幡神の由来を考えれば、ヘブライの神、すなわち女神転生世界の唯一神は、なんら他の神々と変わるところがなく、ただ現在の世界で圧倒的優位に立っている存在、ということになる。

【真・女神転生 STRANGE JOURNEY
攻略本情報なのでどこまで信じてよいか怪しいところだが(ひとまずアトラス×ファミ通なのでアトラスに取材していると信じたい)、この世界における、「悪魔」についての説明がなされている。

それは、悪魔は、「人類の種族的記憶が生んだ情報生命体」というもの。
非常にしっくりくる説明である。

神話の存在たちは、そもそもの姿かたちが「人間ありき」(例えば獣頭人身、羽を持った人)であったり、また、創世神話は民族(exヘブライ)や、支配者層(ex天皇家)のための創作色が色濃く現れていたりする。

宇宙の開闢は量子トンネル効果によって起こったとされるこの時代に、そうした脚色感の強いストーリーは真実たりえない。

悪魔が人類の集合的思念から生まれ、そして人々の思念の変遷によって、その意味付けを変化させてきたならば、かつての地母神が邪悪な存在へと貶められたことも理解がいく。
例を挙げれば、キリスト教において異教の神々が悪魔とされたこと、ヒンドゥーの神々が仏教に取り入れられたことなど枚挙に暇がない。

ただし、ストレンジジャーニーでは、悪魔らが完全に人間が生み出した「情報」が意思をもったもの、とするのではなく、「地球意思」という存在を置くことで、元来あったものに、人間の意思が流入して形作られたもの、としている。

地球意思は、ラブロックのガイア仮説をSF的に解釈したものだろう。
いつから意思を持っているのかはわからない。生命が進化する過程で、それら生命の集合的無意識(人の思念よりは、はるかに漠然としたものだろうが)の中からうまれ出たのかもしれない。
しかし、地球意思の成立にとってもっとも重要なのは、古代人の大地への信仰心だろう。
この信仰心によって、地球意思は、人の姿を象った、母なる存在として明確な形を手に入れた。
(地母の姿を持つ大霊母メムアレフと、生命の胚のような姿の威大霊メムアレフは、その変化の非常に分かりやすい例だろう)

無機質な星がその最初の段階から、「生命を作る」などという恣意的な意志を持つよりは、生まれ出でた生命の総体としての地球意思(=地球生命の意思)としたほうがしっくりくる。
それならば、メムアレフが人類を排除しようとするのも納得できる。

いずれにせよ、地球意思は、地球生命の魂を生む胎盤となり、地球生命の記録は蓄積された。
シュバルツバースには「悪魔の種」がメモリーとして保存されているが、その種の起源は、私の独自の解釈となるが、数多くの地球生命から地球意思へ蓄積された情報なのだろうと思う。

さて、ここでも引っかかるのは、「神」の存在と、ルイ・サイファーである。
彼らもまた、本来は地球意思から生まれ出でた存在なのだろうか?
「神」がもともとヘブライの神々の一柱に過ぎず、曙の明星と呼ばれた天使はこの神が生み出したものだとするなら、彼らもやはり地球意思から生まれ出でたのかもしれないが、全ての神が地母たちが産んだものとも限らない。むしろストレンジジャーニーに限定するなら、三賢人側から生まれ出でた存在なのかもしれない。

「神」は、太古の、異教の神々、残虐で野蛮な神々を駆逐し、倫理と道徳、法と秩序で律せられた世界を創ろうとした。
一方で曙の明星は神の方針に異を唱え、「神」に貶められた神々の復活のため、混沌の、闇の魔王となった。

そしてあらゆる女神転生の世界において、世界と人の在り方について対立し続けている。


【「神」やルイ・サイファーの支配範囲】
ここまで人間に強い執着を持つ存在が、果たして宇宙全体を支配する、すなわちこの宇宙を創成した存在なのか?と考えると、宇宙のスケールに対して執着点が矮小に思える。(人間原理を考え、この宇宙は神が人間のために創り賜うたもので、地球こそエデン、という考えもできるだろうが)

これも私の独論だが、霊的存在は、霊的世界、霊的宇宙において、無限とも思える支配力を持っていると考えてはどうか?
例えば、大いなる意思が支配するアマラ宇宙を考えてみよう。
アマラ宇宙では無数のボルテクスが誕生し、消失し、創世の輪転が続けられている。
真Ⅲのエンディングのひとつにあるように、ボルテクスの創世とは、もとの世界を創る、といったことも可能である。
創世は、宇宙開闢を再度行う、といったものではなく、ひょっとすると今いるこの世界も知らない間に
創世を経ているかもしれない・・・といった我々には認識されないものである。
(他のコトワリルートでも、創世時にビルが出現するあたり、世界と人の意識の在り方を変えることが創世なのだろう)

物理宇宙はひとつで、あらゆる可能性と時空が重ねあわせになっているのか、
それとも並行世界が無数に存在するのか、その辺は解釈次第だろうが、

少なくとも、上記の解釈なら、物理的宇宙は、意思もなにもなく、ただ単に深遠広大な空虚な入れ物に過ぎず、「神」は霊的宇宙を支配している、と考えることが出来る。

どんなに宇宙の物理法則を解き明かしても、それはこの物質宇宙にしか適用できない。
霊的世界は、物質宇宙しか見る術を持たない人類にとって、全くの未知の領域なのである。


【神は人を創り賜うたか】
色々と考えてきたが、人が猿から進化して知恵を得たことは間違いないだろう。
三賢人もニンゲンは人猿、と言っている。
「神」が泥から創ったのでは決してない。

しかし、「神」やルイ・サイファーは、明らかに人間を被造物として見る。
過去、三賢人(秩序の側の地球意思、とでも見なしていいかもしれない)は何度か旧人類の滅びを目にしてきた。
これはつまり、人が猿から進化する中で、これらの意思の介入があったことを思わせる。

例えば、最初の人類が進化し、種族的思念が複雑化する過程で、三賢人のような存在や、神や魔なる存在の種が生まれ、人類を導くようになった。(曰く、人は地球生命を統括するべき存在だったが、何度も愚かしい自滅を迎えている。)
何度目かの人類である現生人類を、被造物として見るのは、そのためとも考えられるか。

何十万年も前から存在する三賢人に比べ、現在の「神」はせいぜい数千年の信仰しかない気がするが、
その点は、「神」の種自体は遥か以前からあり、別の形で存在していた、と考えればよいか。


物理宇宙の摂理と「神」は関係ない。
「神」は霊的世界の支配者である。
地球生命や旧人類の思念が意思存在を生んだ。
意思存在は独自のスタンスで何回かの人類の営みを眺め、そして導いてきた。

その点で、意思存在は、この物理宇宙を作った高次元のインテリジェンス存在ではなく、
地球生命や人類の思念から生まれ出でた存在であっても、人を被造物と見なし、滅ぼしたり、導いたりする存在ということになる。



今回はとりたて思考が散逸だったが、綺麗にまとめる気は・・・ない。



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永遠の平穏か、世界を守るか、あるいは破壊と創造か【真・女神転生 STRANGE JOURNEY】 [考察 女神転生]

3ルートについて思うところを。

【永遠の平穏】LAW
現在の世界と人類に対して最大の力を有する、「神」が、人類をよりよい存在へ変容させるルートである。
「神」は、元来はヘブライの神に過ぎなかった存在であろうが、アブラハムの宗教が拡大し、異教の神々が貶められるに従い、唯一神などという、他神より上の存在となったのだろう。

「神」は太古の混沌たる神々と宗教を駆逐し、人間を、倫理と道徳的価値観を備えた良き霊としようとした。
人は原初のときに誘惑に負け堕落した存在であり、「神」は様々な試練を与え、良き霊を選び、人間を導こうとしてきた。
しかし、人類が地球をいよいよ食いつぶすというこの時代、人の信仰心の退廃とともに、シュバルツバースが出現、「神」は、混沌の神々に人類と地球を渡さぬため、自らが理想とする秩序ある世界のため、御使いを遣わす。

新世界では、全ての人は、人が持つ苦しみ、不安や悲しみ、葛藤などから解放され、「神」への信仰に心をひとつにし、至福の中で永遠のときを過ごす。

「神」の恩寵のもと、平穏な世界で永遠の至福を過ごす・・・。聖書が描く終末後の世界は、聞こえはいいが、その実、実現したならば、女神転生が描き出すような、永遠だが何の変化もなく、人の個性も営みもなく、信仰こそが幸福、というものである。
究極のマインドコントロールと選民によって作られた永遠の世界。
旧世界に身をおく我々からすれば、不気味な世界ではあるが、その世界にいる人々は、何の疑問も感じる必要すらなく、永遠の幸福を得られる。
それはそれで彼らにとっては良いのかも知れない・・・とも言えるだろう。

【世界を守る】NEUTRAL
今あるこの世界と、人類を守るルートである。
滅んで然るべき存在ではあっても、
人類には可能性がある。

かつてあった人々、今ある人々、そしてこの先の人々と
人類は、可能性で持って、ここまでその営み紡ぎ、そしてこれからも紡いでいく。

ED後に地球の青い空を見たとき、誰しもが開放感と達成感を感じるだろう。
確かに世界は何も変わらないかもしれない。それでも、人類の可能性を信じ、
これまで紡いできた可能性の糸を途切れさせず、可能性を紡ぎ続ける、
人の一生は神々に比べれば一瞬のようなものだが、それでも我々は確かに
、途切れかけた人類の可能性を繋いだのである。
何よりも、ED後、調査隊員らは、家族と再会できただろう。

旧世界に失望し、新世界の創造を目論むよりも、身近な人を救いたい、
そんな基本的な気持ちを何よりも大切にするルートである。

しかしながら、その可能性や愛など、悪魔から見れば取るに足らない
矛盾に満ちた浅はかなものにしか見えない。
結局、人類は何も変わらず、再度の危機を迎えるか、あるいは、神と魔の干渉すらなく、
地球を破壊し勝手に滅ぶか・・・なのかもしれない。


【破壊と創造】CHAOSルート

「神」に貶められた太古の神々は、復活の時を待っていた。
生と死、破壊と創造を繰り返す自然の大きな営みへ回帰するルートである。

堕落した生の快楽を貪ることから決別し、悪魔の支配する世界で必死に生きること。
ある種、究極の文明脱却と自然への回帰、とも言える。

そうした躍動する営みからこそ、様々な可能性が生まれるのである。

もっとも、悪魔たちはそんなことはどうでもよく、地球を食い尽くそうとした人類を駆逐し、
己らが復活できれば良いのだろう。
悪魔たちは、「神」に貶められ、姿を歪められ、シュバルツバースに閉じ込められた。
人類と「神」への復讐と、自分たちの世界の確立が目的である。

太古の母神らは、それだけではなく、人類に任せては地球は持たないことを感じ、
人類文明の破壊を目論んでいる。

その中で、ルイ・サイファーは、混沌の側に身を置きつつも、悪魔や母神とは一線を画している。
マンセマットも、今回の事件にルシファーが絡んでいることを想定していなかった。

彼は、人類という存在の営みに非常に興味を持っているようで、逆境や極限状況において生み出す変化
にこそ人類の存在価値があるとまで言う。
「捨てもしないが、可愛がりもしない」、彼は、人が持つ不安定さ、揺れの持つ変化の可能性を好み、そして、
そのためには、人を混沌たる世界に置くことが良いと考えているのだろう。

しかし、いずれにせよ、彼は傍観者を決め込む。
どのルートを選ぼうが、彼は人の営みを傍観し続けることだろう。

そう、マンセマットが言うとおり、悪魔は永き時存在する。
次の機会を待てばよいのである。
そしてかつ、「この世界だけではない」のだろう。

ストレンジジャーニーだけでも、数多のプレイヤーが存在し、そして様々な選択をなす。
そして、他の世界においても、神と魔の戦いは行われている。

無限にも思える世界の中で、神と魔は戦い続け、そしてルシファーは人を傍観し続ける。












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数奇な旅の終わり【真・女神転生 STRANGE JOURNEY】 [考察 女神転生]

私の数奇な旅もようやく終わりを迎えた。

混沌たる新世界を創造し、
法の神の治める永遠の安寧の世界を創造し、
人類と、今あるこの世界を守った。

ナンバリングではない、携帯機での女神転生。
しかしながら、ストレンジジャーニーは、『正伝』に位置づけられる作品だという。

EDを迎えてもなお、シュバルツバースとそこに潜む悪魔たちに魅せられた数多のメガテニストなら、
まさに本作は『正伝』であるということが実感できるだろう。


霊的な力に乏しく、脆弱な身体しか持たない人間が対峙する、
神話伝承の存在、悪魔。

人類の技術の粋を結集したデモニカを纏っても尚、脆弱な生身の人間が魔性の存在
と対峙することは恐ろしい。

近年の女神転生シリーズではあまり見られなかった、悪魔への恐怖が非常に強く感じられる。

携帯機だからこそ、リアルな映像での表現を行わないからこそ、
ゲームにおいて凄惨な描写は可能となる。

悪魔にとって、ニンゲンとは、食料であり、星の害虫であり、紙切れのような脆弱な存在であり、浅はかで低俗な存在である。
シュバルツバースに侵入した人間たちは、その初めに75%との人員を失い、その後も1人、また1人、また1人と悪魔に引き裂かれ、食いちぎられ、へし折られ、粉砕されていった。

『調査』という本来の任務は危うくなり、生存と脱出のために暗中模索する調査隊。
奇しくも生存と脱出のための模索が、シュバルツバースの調査となった。

シュバルツバースの構造が明らかになり、いよいよ脱出を試みた矢先、
調査隊の希望は容易く打ち砕かれる。
人間の『調査』など、シュバルツバースを何ら明らかにしてはいなかった。

失意と絶望の中、今後の道筋すらつけられぬ調査隊。
出来ることは、『上位の存在』から提示された道筋をなぞるだけ。
それは、シュバルツバースの中心へ近づくこと。

調査隊は、自分たちの行動がどこに繋がっているのかすら全く分からないまま、
他に道がないゆえに、シュバルツバースの中心を目指す。

そんな中の、ジャック部隊との戦闘。
私利私欲に溺れ、富の独占と他者への猜疑心に囚われた人間との戦い。

そんな愚かしく脆弱な人間からの脱却者。
一方は悪魔の力を得、悪魔とともに生きる者。
一方は神の加護を得、選ばれし信仰者とともに生きる者。

出口の全く見えない状況下で、これら明確なビジョンは、隊員たちの一部を魅了し、隊に離脱者が現れる。
残った隊員たちは、今後に対するビジョンすら描けず、ストレスは極限に達する。

そこに現れる、一筋の光明、あるいは可能性、ゴア隊長。

「何がために戦うのか?」


そして、決断は下される。



こうして振り返ってみると、『ストレンジジャーニー』というタイトルは非常にしっくりくる。
先行きを描けない、見知らぬ、奇妙で閉塞した世界を彷徨う数奇な旅・・・。
彷徨う中で、揺れ動くなかで成される選択は・・・。

『ストレンジジャーニー』は、女神転生の『正伝』の文脈を、21世紀現在の言葉で描写したものと言ってもいいのではないか。
地球を食いつくさんとする人類と、生命の根源たる太古の母、そして現在の神。
混沌の側に立ちつつも、あくまで傍観者を決め込む反逆の堕天使。

3ルートを回り、一個の人間としては、青い空の下、今いる人々、家族、愛する人を守ることが何よりも一番だと思う。
しかし、それでは何も変わらず、人類は地球を破壊し自滅するだろうとも思う。
旧世界の未練など捨て去るなら、新世界は人類が支配する世界よりもより良いのかもしれないとも思う。



『ストレンジジャーニー』・・・
ゲームとして一級、
SFエンターテイメントとして一級、
メガテンとして一級、

である。
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米国とトヨタ自動車 [戯言]

なんだこのタイトル・・・


ここでこんな記事なぞ・・・柄ではない。

ニュースに対する記事は基本かかないことにしている。
ああだこうだ言ったところで、それは素人意見に過ぎないからだ。

矛盾、堕落、腐敗、停滞・・・そんな問題が山積みの嫌な世界だが、それらには、
まあ、何かしらの理由がある。
それは利権だったり、色々あるのだろうが、少なくとも単純に感情論で素人が意見を述べるべきものではないと思っている。

まあ、しかし今回は、ちょっと書いてみましょ。



トヨタ車がアメリカでリコールになり、ものすごい叩かれっぷりである。
これに対して、日本人のスタンスは、
恐らく(推測)「貿易摩擦だ」「さすが訴訟大国、いちゃもんつけて勝訴する」「米国自動車メーカーのえこひいき」
そんなところだろう。

これに対して私は、「だいたいあってるんじゃない?(推測)」と感覚的に思う。
ただし、「だからアメリカ国民もアメリカ政府もダメなんだ」とは思わない。


①アメリカ国民は良い製品であれば買う

その昔、日本製の工業製品なぞ、アメリカ人からしたら粗悪で買う気がしない、という位置付けだった。
高度経済成長期とオイルショックからの復活という長い戦後の歴史の中で、
日本企業は技術力を高め、そして果敢な営業と優れた製品によって海外市場に切り込んでいった。
70年代~80年代に惰眠を貪っていたアメリカ企業は後れを取り(自動車メーカーはいまだにその差を埋められずにいる)、80年代には「日本的経営」が世界的に脚光を浴びた。

アメリカ人は、良い製品であれば買うのである。
この点で、国内ブランド志向が強烈で、ノキアやLG、サムソンが世界市場を席巻していることなど気にも留めない日本人とは大きく異なる。(それだけ国内ブランドが戦後の時代を通じて築き上げたブランドイメージと、技術力、そしてマーケティングが優れていたのだろうが)

良い製品であれば買い、問題があれば声高にクレームを挙げる。
それがアメリカ国民の気質なのだろう。それは、企業にとっては、緊張感があり、公平に評価される良い市場だと言える。

②保護主義の政府
市場は公平で、良いものは海外製品であろうとも売れるアメリカだが、それを憂いる存在がいる。
アメリカ企業である。彼らは当然支持政党を持ち、ロビー活動をし、政府に働きかける。
政府は別に公平な自由市場経済を提供しなければならない道理はない。
国内産業を優先して、海外企業を差別することは、アメリカの国益に叶うと判断されれば、行われる。


日本もまた然り、農産物の輸入自由化を頑なに拒んでいる。
零細農業中心の国内農業の保護のためである。

③司法大国
アメリカは裁判大国で有名だ。権利は主張する。そういった精神が建国のときから生きているからかどうかは正直分からないが、日本人よりは裁判を色々な理由で起こす。「被害者が裁判で賠償請求」となると、「なんだ金か」と否定的に見られる日本とは異なる。

アメリカの司法がアメリカ有利なのかは良くわからない。
しかし、特許侵害など、もろもろの企業間の争いにおいて、日本企業はアメリカ企業に負け続けている。
裁判は、事前の準備によって勝敗が決まってしまう。その点で、アメリカ企業の方が訴訟について一枚上手なのかもしれない。(また推測)


というわけで、
《結論》
市場の評価は非常にドライかつ平等なアメリカであるが故に、政府は保護主義に走る。
保護主義に走ること自体は別に悪いことではない。
したがって、「米国企業ひいきだ、不公平だ、平等に扱え」と言ったところで、そうすることのメリットが見出せなければ、保護主義を続けるだろう。




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