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神が人を創り賜うたか【真・女神転生 STRANGE JOURNEY】 [考察 女神転生]

女神転生のような、神話存在が現実に登場する世界において、考えなくてはならないのは、
それらの存在がいつから、どのように存在するか?である。

世界各地には創世の神話が残されているし、様々な空想上の怪物、妖精などの伝承も残っている。
しかし、それらは人類の科学がこの地球、そして宇宙を明らかにするにつれ、
創作であることが分かりきっている。

アメノヌボコでかき混ぜて日本列島を作ったわけでもないし、日本列島を生んだわけでもないし、
天と地が創造神の死体からできたわけでもない。

真摯な信仰者は決して認めないであろうが、アブラハムの宗教の唯一神とて、世界各地の神話の神々と異なることなく、「人が生み出した存在」であろう。

では、女神転生の世界ではどう解釈したらよいのだろうか?


【真・女神転生Ⅲ】
『大いなる意思』は、他の神話の主神級の神々が通常の悪魔であるのに対し、抽象存在として、
アマラ宇宙の輪転の秩序を保つ存在として君臨している。もっとも、彼の御使いや、彼に反逆するものは、悪魔である。その点では、大いなる意思は現在圧倒的な力を持っているだけで、他の悪魔となんら変わらない存在なのかもしれない。
そんな彼は、聖書にあるとおり、人を創造した存在なのか、あるいは、人が信仰心によって生み出した神なのか?
ルシファーのような、人間を遥かに超越し、達観した視点から傍観、見守る存在すら、人の集合的、思念が生み出した存在なのか?
あまりそうとは考えたくはないものだ。

興味深いことに、真Ⅲには、アラディアという、異神が登場する。
アラディアは、虐げられた魔女たちが救いを求めてすがった虚構の神。
アラディアは、虚構とされた存在が集まるボルテクスから、アマラ宇宙を越えてこのボルテクスにやってきたよそ者。

アラディアの存在は、人の信仰によって創られた神と、その他の神を区別するようですらある。
しかし、結局は、信仰の強度の問題なのだろう。異端とされ、虚構とされるなら、その神は力を持つことも出来ず、虚構存在として霊的世界で疎外される。
そう考えれば、他の悪魔も信仰心によって形成された存在にせよ、十分な信仰があったからこそ、偉大な存在として君臨できる。(貶めれることもまたあるが)

【デビルサマナー葛葉ライドウ】
アバドン王では、『日ユ同祖論』がエッセンスとして盛り込まれている。
天斗紋はカバラの生命の樹がその由来となっている。
また、大国主の口からも、天津神はヘブライ神族の後ろ盾を持っていることが明かされる。(別件依頼)

現実の話でも、八幡(ハチマン、あるいはヤワタ)という、日本で広範に信仰されるこの神は、その起源がはっきりせず、一説には、西方系の渡来人がヤハウェ信仰を持ち込んだもの、と言われることもある。

「ヘブライ神族」や八幡神の由来を考えれば、ヘブライの神、すなわち女神転生世界の唯一神は、なんら他の神々と変わるところがなく、ただ現在の世界で圧倒的優位に立っている存在、ということになる。

【真・女神転生 STRANGE JOURNEY】
攻略本情報なのでどこまで信じてよいか怪しいところだが(ひとまずアトラス×ファミ通なのでアトラスに取材していると信じたい)、この世界における、「悪魔」についての説明がなされている。

それは、悪魔は、「人類の種族的記憶が生んだ情報生命体」というもの。
非常にしっくりくる説明である。

神話の存在たちは、そもそもの姿かたちが「人間ありき」(例えば獣頭人身、羽を持った人)であったり、また、創世神話は民族(exヘブライ)や、支配者層(ex天皇家)のための創作色が色濃く現れていたりする。

宇宙の開闢は量子トンネル効果によって起こったとされるこの時代に、そうした脚色感の強いストーリーは真実たりえない。

悪魔が人類の集合的思念から生まれ、そして人々の思念の変遷によって、その意味付けを変化させてきたならば、かつての地母神が邪悪な存在へと貶められたことも理解がいく。
例を挙げれば、キリスト教において異教の神々が悪魔とされたこと、ヒンドゥーの神々が仏教に取り入れられたことなど枚挙に暇がない。

ただし、ストレンジジャーニーでは、悪魔らが完全に人間が生み出した「情報」が意思をもったもの、とするのではなく、「地球意思」という存在を置くことで、元来あったものに、人間の意思が流入して形作られたもの、としている。

地球意思は、ラブロックのガイア仮説をSF的に解釈したものだろう。
いつから意思を持っているのかはわからない。生命が進化する過程で、それら生命の集合的無意識(人の思念よりは、はるかに漠然としたものだろうが)の中からうまれ出たのかもしれない。
しかし、地球意思の成立にとってもっとも重要なのは、古代人の大地への信仰心だろう。
この信仰心によって、地球意思は、人の姿を象った、母なる存在として明確な形を手に入れた。
(地母の姿を持つ大霊母メムアレフと、生命の胚のような姿の威大霊メムアレフは、その変化の非常に分かりやすい例だろう)

無機質な星がその最初の段階から、「生命を作る」などという恣意的な意志を持つよりは、生まれ出でた生命の総体としての地球意思(=地球生命の意思)としたほうがしっくりくる。
それならば、メムアレフが人類を排除しようとするのも納得できる。

いずれにせよ、地球意思は、地球生命の魂を生む胎盤となり、地球生命の記録は蓄積された。
シュバルツバースには「悪魔の種」がメモリーとして保存されているが、その種の起源は、私の独自の解釈となるが、数多くの地球生命から地球意思へ蓄積された情報なのだろうと思う。

さて、ここでも引っかかるのは、「神」の存在と、ルイ・サイファーである。
彼らもまた、本来は地球意思から生まれ出でた存在なのだろうか?
「神」がもともとヘブライの神々の一柱に過ぎず、曙の明星と呼ばれた天使はこの神が生み出したものだとするなら、彼らもやはり地球意思から生まれ出でたのかもしれないが、全ての神が地母たちが産んだものとも限らない。むしろストレンジジャーニーに限定するなら、三賢人側から生まれ出でた存在なのかもしれない。

「神」は、太古の、異教の神々、残虐で野蛮な神々を駆逐し、倫理と道徳、法と秩序で律せられた世界を創ろうとした。
一方で曙の明星は神の方針に異を唱え、「神」に貶められた神々の復活のため、混沌の、闇の魔王となった。

そしてあらゆる女神転生の世界において、世界と人の在り方について対立し続けている。


【「神」やルイ・サイファーの支配範囲】
ここまで人間に強い執着を持つ存在が、果たして宇宙全体を支配する、すなわちこの宇宙を創成した存在なのか?と考えると、宇宙のスケールに対して執着点が矮小に思える。(人間原理を考え、この宇宙は神が人間のために創り賜うたもので、地球こそエデン、という考えもできるだろうが)

これも私の独論だが、霊的存在は、霊的世界、霊的宇宙において、無限とも思える支配力を持っていると考えてはどうか?
例えば、大いなる意思が支配するアマラ宇宙を考えてみよう。
アマラ宇宙では無数のボルテクスが誕生し、消失し、創世の輪転が続けられている。
真Ⅲのエンディングのひとつにあるように、ボルテクスの創世とは、もとの世界を創る、といったことも可能である。
創世は、宇宙開闢を再度行う、といったものではなく、ひょっとすると今いるこの世界も知らない間に
創世を経ているかもしれない・・・といった我々には認識されないものである。
(他のコトワリルートでも、創世時にビルが出現するあたり、世界と人の意識の在り方を変えることが創世なのだろう)

物理宇宙はひとつで、あらゆる可能性と時空が重ねあわせになっているのか、
それとも並行世界が無数に存在するのか、その辺は解釈次第だろうが、

少なくとも、上記の解釈なら、物理的宇宙は、意思もなにもなく、ただ単に深遠広大な空虚な入れ物に過ぎず、「神」は霊的宇宙を支配している、と考えることが出来る。

どんなに宇宙の物理法則を解き明かしても、それはこの物質宇宙にしか適用できない。
霊的世界は、物質宇宙しか見る術を持たない人類にとって、全くの未知の領域なのである。


【神は人を創り賜うたか】
色々と考えてきたが、人が猿から進化して知恵を得たことは間違いないだろう。
三賢人もニンゲンは人猿、と言っている。
「神」が泥から創ったのでは決してない。

しかし、「神」やルイ・サイファーは、明らかに人間を被造物として見る。
過去、三賢人(秩序の側の地球意思、とでも見なしていいかもしれない)は何度か旧人類の滅びを目にしてきた。
これはつまり、人が猿から進化する中で、これらの意思の介入があったことを思わせる。

例えば、最初の人類が進化し、種族的思念が複雑化する過程で、三賢人のような存在や、神や魔なる存在の種が生まれ、人類を導くようになった。(曰く、人は地球生命を統括するべき存在だったが、何度も愚かしい自滅を迎えている。)
何度目かの人類である現生人類を、被造物として見るのは、そのためとも考えられるか。

何十万年も前から存在する三賢人に比べ、現在の「神」はせいぜい数千年の信仰しかない気がするが、
その点は、「神」の種自体は遥か以前からあり、別の形で存在していた、と考えればよいか。


物理宇宙の摂理と「神」は関係ない。
「神」は霊的世界の支配者である。
地球生命や旧人類の思念が意思存在を生んだ。
意思存在は独自のスタンスで何回かの人類の営みを眺め、そして導いてきた。

その点で、意思存在は、この物理宇宙を作った高次元のインテリジェンス存在ではなく、
地球生命や人類の思念から生まれ出でた存在であっても、人を被造物と見なし、滅ぼしたり、導いたりする存在ということになる。



今回はとりたて思考が散逸だったが、綺麗にまとめる気は・・・ない。



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永遠の平穏か、世界を守るか、あるいは破壊と創造か【真・女神転生 STRANGE JOURNEY】 [考察 女神転生]

3ルートについて思うところを。

【永遠の平穏】LAW
現在の世界と人類に対して最大の力を有する、「神」が、人類をよりよい存在へ変容させるルートである。
「神」は、元来はヘブライの神に過ぎなかった存在であろうが、アブラハムの宗教が拡大し、異教の神々が貶められるに従い、唯一神などという、他神より上の存在となったのだろう。

「神」は太古の混沌たる神々と宗教を駆逐し、人間を、倫理と道徳的価値観を備えた良き霊としようとした。
人は原初のときに誘惑に負け堕落した存在であり、「神」は様々な試練を与え、良き霊を選び、人間を導こうとしてきた。
しかし、人類が地球をいよいよ食いつぶすというこの時代、人の信仰心の退廃とともに、シュバルツバースが出現、「神」は、混沌の神々に人類と地球を渡さぬため、自らが理想とする秩序ある世界のため、御使いを遣わす。

新世界では、全ての人は、人が持つ苦しみ、不安や悲しみ、葛藤などから解放され、「神」への信仰に心をひとつにし、至福の中で永遠のときを過ごす。

「神」の恩寵のもと、平穏な世界で永遠の至福を過ごす・・・。聖書が描く終末後の世界は、聞こえはいいが、その実、実現したならば、女神転生が描き出すような、永遠だが何の変化もなく、人の個性も営みもなく、信仰こそが幸福、というものである。
究極のマインドコントロールと選民によって作られた永遠の世界。
旧世界に身をおく我々からすれば、不気味な世界ではあるが、その世界にいる人々は、何の疑問も感じる必要すらなく、永遠の幸福を得られる。
それはそれで彼らにとっては良いのかも知れない・・・とも言えるだろう。

【世界を守る】NEUTRAL
今あるこの世界と、人類を守るルートである。
滅んで然るべき存在ではあっても、
人類には可能性がある。

かつてあった人々、今ある人々、そしてこの先の人々と
人類は、可能性で持って、ここまでその営み紡ぎ、そしてこれからも紡いでいく。

ED後に地球の青い空を見たとき、誰しもが開放感と達成感を感じるだろう。
確かに世界は何も変わらないかもしれない。それでも、人類の可能性を信じ、
これまで紡いできた可能性の糸を途切れさせず、可能性を紡ぎ続ける、
人の一生は神々に比べれば一瞬のようなものだが、それでも我々は確かに
、途切れかけた人類の可能性を繋いだのである。
何よりも、ED後、調査隊員らは、家族と再会できただろう。

旧世界に失望し、新世界の創造を目論むよりも、身近な人を救いたい、
そんな基本的な気持ちを何よりも大切にするルートである。

しかしながら、その可能性や愛など、悪魔から見れば取るに足らない
矛盾に満ちた浅はかなものにしか見えない。
結局、人類は何も変わらず、再度の危機を迎えるか、あるいは、神と魔の干渉すらなく、
地球を破壊し勝手に滅ぶか・・・なのかもしれない。


【破壊と創造】CHAOSルート

「神」に貶められた太古の神々は、復活の時を待っていた。
生と死、破壊と創造を繰り返す自然の大きな営みへ回帰するルートである。

堕落した生の快楽を貪ることから決別し、悪魔の支配する世界で必死に生きること。
ある種、究極の文明脱却と自然への回帰、とも言える。

そうした躍動する営みからこそ、様々な可能性が生まれるのである。

もっとも、悪魔たちはそんなことはどうでもよく、地球を食い尽くそうとした人類を駆逐し、
己らが復活できれば良いのだろう。
悪魔たちは、「神」に貶められ、姿を歪められ、シュバルツバースに閉じ込められた。
人類と「神」への復讐と、自分たちの世界の確立が目的である。

太古の母神らは、それだけではなく、人類に任せては地球は持たないことを感じ、
人類文明の破壊を目論んでいる。

その中で、ルイ・サイファーは、混沌の側に身を置きつつも、悪魔や母神とは一線を画している。
マンセマットも、今回の事件にルシファーが絡んでいることを想定していなかった。

彼は、人類という存在の営みに非常に興味を持っているようで、逆境や極限状況において生み出す変化
にこそ人類の存在価値があるとまで言う。
「捨てもしないが、可愛がりもしない」、彼は、人が持つ不安定さ、揺れの持つ変化の可能性を好み、そして、
そのためには、人を混沌たる世界に置くことが良いと考えているのだろう。

しかし、いずれにせよ、彼は傍観者を決め込む。
どのルートを選ぼうが、彼は人の営みを傍観し続けることだろう。

そう、マンセマットが言うとおり、悪魔は永き時存在する。
次の機会を待てばよいのである。
そしてかつ、「この世界だけではない」のだろう。

ストレンジジャーニーだけでも、数多のプレイヤーが存在し、そして様々な選択をなす。
そして、他の世界においても、神と魔の戦いは行われている。

無限にも思える世界の中で、神と魔は戦い続け、そしてルシファーは人を傍観し続ける。












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数奇な旅の終わり【真・女神転生 STRANGE JOURNEY】 [考察 女神転生]

私の数奇な旅もようやく終わりを迎えた。

混沌たる新世界を創造し、
法の神の治める永遠の安寧の世界を創造し、
人類と、今あるこの世界を守った。

ナンバリングではない、携帯機での女神転生。
しかしながら、ストレンジジャーニーは、『正伝』に位置づけられる作品だという。

EDを迎えてもなお、シュバルツバースとそこに潜む悪魔たちに魅せられた数多のメガテニストなら、
まさに本作は『正伝』であるということが実感できるだろう。


霊的な力に乏しく、脆弱な身体しか持たない人間が対峙する、
神話伝承の存在、悪魔。

人類の技術の粋を結集したデモニカを纏っても尚、脆弱な生身の人間が魔性の存在
と対峙することは恐ろしい。

近年の女神転生シリーズではあまり見られなかった、悪魔への恐怖が非常に強く感じられる。

携帯機だからこそ、リアルな映像での表現を行わないからこそ、
ゲームにおいて凄惨な描写は可能となる。

悪魔にとって、ニンゲンとは、食料であり、星の害虫であり、紙切れのような脆弱な存在であり、浅はかで低俗な存在である。
シュバルツバースに侵入した人間たちは、その初めに75%との人員を失い、その後も1人、また1人、また1人と悪魔に引き裂かれ、食いちぎられ、へし折られ、粉砕されていった。

『調査』という本来の任務は危うくなり、生存と脱出のために暗中模索する調査隊。
奇しくも生存と脱出のための模索が、シュバルツバースの調査となった。

シュバルツバースの構造が明らかになり、いよいよ脱出を試みた矢先、
調査隊の希望は容易く打ち砕かれる。
人間の『調査』など、シュバルツバースを何ら明らかにしてはいなかった。

失意と絶望の中、今後の道筋すらつけられぬ調査隊。
出来ることは、『上位の存在』から提示された道筋をなぞるだけ。
それは、シュバルツバースの中心へ近づくこと。

調査隊は、自分たちの行動がどこに繋がっているのかすら全く分からないまま、
他に道がないゆえに、シュバルツバースの中心を目指す。

そんな中の、ジャック部隊との戦闘。
私利私欲に溺れ、富の独占と他者への猜疑心に囚われた人間との戦い。

そんな愚かしく脆弱な人間からの脱却者。
一方は悪魔の力を得、悪魔とともに生きる者。
一方は神の加護を得、選ばれし信仰者とともに生きる者。

出口の全く見えない状況下で、これら明確なビジョンは、隊員たちの一部を魅了し、隊に離脱者が現れる。
残った隊員たちは、今後に対するビジョンすら描けず、ストレスは極限に達する。

そこに現れる、一筋の光明、あるいは可能性、ゴア隊長。

「何がために戦うのか?」


そして、決断は下される。



こうして振り返ってみると、『ストレンジジャーニー』というタイトルは非常にしっくりくる。
先行きを描けない、見知らぬ、奇妙で閉塞した世界を彷徨う数奇な旅・・・。
彷徨う中で、揺れ動くなかで成される選択は・・・。

『ストレンジジャーニー』は、女神転生の『正伝』の文脈を、21世紀現在の言葉で描写したものと言ってもいいのではないか。
地球を食いつくさんとする人類と、生命の根源たる太古の母、そして現在の神。
混沌の側に立ちつつも、あくまで傍観者を決め込む反逆の堕天使。

3ルートを回り、一個の人間としては、青い空の下、今いる人々、家族、愛する人を守ることが何よりも一番だと思う。
しかし、それでは何も変わらず、人類は地球を破壊し自滅するだろうとも思う。
旧世界の未練など捨て去るなら、新世界は人類が支配する世界よりもより良いのかもしれないとも思う。



『ストレンジジャーニー』・・・
ゲームとして一級、
SFエンターテイメントとして一級、
メガテンとして一級、

である。
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「運命とは?」という問いの答え【真・女神転生Ⅲ NOCTURNE マニアクス クロニクルエディション】 [考察 女神転生]

マニクロは第四カルパ最奥部に到達しました。

ここでは喪服の淑女の口から「運命」、「定め」という言葉がラッシュのように発せられます。

ようやくメガテン的、「運命」という言葉の意味が理解できました。

アマラ深界の探索は3度目ですが、正直今まで全く覚えてなかったんですね。聞き流しもいいところだったようです。

ライドウをプレイして、「運命」に「抗う」、「受け入れる」ということに関して深く考えるようになったからこそ、喪服の淑女の言葉も記憶に残るのです。

正伝のメガテンとスピンオフでは雰囲気が全く違うので、片方しかプレイしないという人も多いようですが、両方プレイすることで見えてくることもある、記憶に残ることもある、ということですね。


「運命」とは、「宇宙の摂理」のことです。

誕生と滅びを永遠に繰り返す無数の世界、大いなる意思が定めた永遠に続く摂理、ルールそのもののことです。

つまり個人の行動の未来が予め完全に決まっている、運命付けられている、という意味の予定説ではなく、放っておけば、ある現象(=アマラの輪廻転生)しか起きない、という「世界のシステム、摂理」のことです。

ですから主人公の行動いかんによって未来は変わり得ますし、最初から全て決まっているわけではないのです。

主人公がアマラ深界を訪れず、ボルテクスで創世を目指すなら、それは「運命付けられたアマラの摂理」を「受け入れる」ことになります。どのような世界が生まれるかは分かりませんが、「アマラの輪廻転生」という大きな流れ=運命自体はずっと変わりません。

アマラ深界の最奥部に行き、混沌の悪魔となるなら、自らの「行動」で、「抗い」、定められた「アマラの摂理」を破壊し、「運命を切り開く」ことになります。



喪服の淑女は聖に関しても言及しています。

彼は、大罪を犯したため、大いなる意思から永遠とも思える償いを与えられています。

「あらゆる時代の光と闇の戦いを余すことなく記録すること」。それが彼に与えられた罰です。

彼の魂は輪廻転生をすることすら赦されず、永遠に償いを続けなければなりません。

本人にその記憶、自覚がないままに。


彼に与えられた、この「罰」が、まさに、「運命」、「定め」というものです。

巨大すぎる運命の中で彼が今後どう行動するかは自由ですし、決まってもいません。

しかし、「永遠に光と闇の戦いを記し続ける」という「定め」は、確固として決まっており、彼自身には変えることも出来ません。



メガテンの「運命」とは、河の流れのように、放っておけば一定のルールに従って流れるもの、永遠に変わらない宇宙のシステムなのだと思われます。
言うなれば、「宇宙の物理法則」、「エントロピー増大則」のようなものです。

ライドウ的に考えれば、もう少し身近になりますが、やはり、何もしなければある方向に流れていくもの、というものになります。

それに対して「抗う」か、そもそも抗うことが「できる」か、は、人それぞれです。

抗ったのは、弾であったり、正直者のライドウであったり、アマラルートの人修羅であったり。
受け入れたのは、茜であったり、日和見者のライドウであったり、創世ルートの人修羅であったり。

抗うことすらかなわないのは、聖であったり、多くの人々であったり。



ようやくすっきりしました。ライドウとマニアクスは抱き合わせ販売で正解だと思います。改めてマニアクスをプレイする機会を得て、メガテンの宇宙観を理解することができたので。

真・女神転生Ⅲ NOCTURNE マニアクス~車椅子の老紳士と喪服の淑女~ [考察 女神転生]

マニクロは第四カルパ最奥部到達!!色々思い出してきました。
とりあえずニコでまとめてあげてくれている方がいらっしゃったので張っつけておきます。

















宿命・運命【真・女神転生Ⅲ NOCTURNE マニアクス クロニクルエディション】 [考察 女神転生]

プレイしながらイベントなどでちょくちょく印象に残った&思い出した台詞を。

最近「運命」とか、「宿命」のメガテン内での扱いについて考えることに凝ってますが、マニアクスでもこの言葉でてきます沢山でてきます。

アマラ深界に迷い込んだのは、「宿命が主人公を呼び寄せた」からだそうです。(これはうそ臭い気もしますが)
そしてここぞとばかりにメノラーを渡し、「宿命が望むのであれば、また会うでしょう」とのこと。


そして、

ミロク経典を発見した氷川のもとに、アマラの転輪鼓が現れたのも、「強い意思は運命を引き寄せる」からなのだそうです。

「宿命」、「運命」ってなんなんですかね?ますます分からなくなりました。



主人公が受胎を生き延び、アクマになったことは、運命なのか、それとも閣下の気まぐれ、全くの偶然なのか。

真3通常版においては、閣下は、金髪のこどもの姿で、主人公が「世界を創るか壊すか」をただ傍観していた。

そして先生エンドにおいては閣下らしき人物のメッセージが、アクマエンドでは金髪のこどもが現れる。


前者では主人公と自分が似ていると言い、将来真の敵が現れることを告げる。

後者では創世を妨げたことで、ボルテクスがアクマの千年王国と化したと告げる。


そしてマニアクス。

ここに至って、閣下は金髪の老人の姿で現れ、世界の真実を教え、そして永遠に続くアマラの創世の輪を断ち切ることを唱える。

主人公は、初めは半ば踊らされながら、後には真相を知り、人の心を完全に失うと知ってもなお、アマラの輪廻の輪を断ち切ろうとする。

主人公の前には、幾多の「死」、すなわち「魔人」が立ちはだかる。
それら全ての「死」を乗り越えられたとき、新たなアクマが誕生し、堕とされた悪魔たちの長い夜は明け、神との最終決戦が始まる。



主人公の行動を静かに見守り、そして魔人という、幾多の試練を与える、そこには、予定調和といったものはあまり感じられません。しかし、それでも、主人公がアクマとなり、魔人とメノラーを賭けて争うのは、宿命とでも言うものです。

ええと、つまり・・・、魔人のメノラー争奪戦が、宿命であって、結果については閣下も分からないのですかね。
閣下も分からない大きな運命の流れがあるとしたら、それは「大いなる意思」そのもの。
しかし、「大いなる意思」は天使を使って、主人公にたびたび警告を与えています。全て思い通り&予定しているわけではないようです。

結局、主人公に関する、「宿命」、「運命」は、閣下によって「作られたもの」感が強いですね。
アクマにしたのも、アマラに呼んだのも、メノラーを渡したのも。
アクマになり、アマラに足を踏み入れ、メノラーを手にすることで、魔人との戦いは必然となる=「宿命」となる。
その後、アマラの最深部にまで足を踏み入れるかは、主人公の意思=プレイヤー次第ということになります。


はて、結局「運命」ってなんなんですかねえ・・・。

運命ってなんぞや??【デビルサマナー 葛葉ライドウ 対 アバドン王 & 真・女神転生Ⅲ NOCTURNE 】 [考察 女神転生]

運命的出会い、宿命が導く、必然、このような「予め定まったこと」と、

運命を切り開く、全ては偶然の連続、そもそも運命などない、「何も定まっていない」と、

人間として生きていると両方の表現が頻繁に出現します。


まあ、結局運命なんて、あるかないか分からないものなのでアレコレ言ってもしょうがないのでしょう。

自分にとって都合が良いほうをその都度信じるのが一番いいのでしょう。


ところでアバドン王の中で、鳴海がこんな感じのことを言っています。
「運命を切り開くって、いい言葉だけど、切り開くことすら運命の中だとしたら、全部決まっているんだとしたら、悲しいよな」
「きっかけ」を受けて、「行動」し、「切り開く」。それすら大きな「運命」の中の、「予定された」出来事だったら?本当の意味で、運命を切り開くことなどできないのではないか?


今回の事件において、閣下は何を考えていたのか?
巨大な運命による予定調和は、「大いなる意思」を強く想起させます。
一方で、閣下は、「きっかけ」による「変化と反応」を見て楽しんでいるように見えます。


そもそも大正20年です。正史から外れた、特異点。この他にもメガテン世界には無数のパラレルワールドが存在します。だとしたら、予定調和などないのか?


しかし、真3的な見方をすれば、別に無数の分岐や並行世界が存在することは予定調和と矛盾しません。

更に一回り大きな、多数のボルテクスと世界を内包する、「アマラ宇宙」が存在するからです。
つまり、「世界が無数に分岐することすら、予定のうち」、という考えもできるということです。

そもそも「アマラ宇宙」のレベルでは、時間の概念すら我々が知るものと同様かわかりません。

例えば、マネカタは、ボルテクスと化したトウキョウからすれば、既に滅び、過去となっている、東京において、強い感情が生じると、その都度新しく誕生します。

アマラ宇宙では、時空が非可逆的に一方通行で流れているわけではない、ということです。

過去も現在も同様に存在する。過去にとっての現代は未来ですから、過去も現在も未来も同様に存在することになります。
それじゃ現在っていつだよ?と言いたくなりますが、それは、極めて主観的なものです。自分がいるところが現在、としか言えません。

そして自分のいる現在には無数の未来があり、そのうちの一つを「現在」として体感している。
個々の世界の時間は一方通行だが、アマラ宇宙の視点では全て同時に存在する。


壮大すぎて頭がおかしくなりそうですね。


これは飛躍ですが、大いなる意思が「LAW=秩序」、すなわち、巨大な運命による予定調和に基づいたアマラ宇宙を作ったのだとしたら、
閣下は「CHAOS=混沌」、すなわちアマラ宇宙を破壊し、予定調和のない世界を創ることを望んでいるのかもしれません。

永遠に続くアマラの創世の環を断ち切り、大いなる意思に反逆する人修羅&、
運命に抗う、将来を自分で切り開く、正直者のライドウが好きみたいですしね。


まあ、真3でも、ライドウでも、閣下は暇つぶししている程度にしか見えませんが。
積極的に誘導したりはせず、「世界を創るも、壊すもよし」みたいなスタンスですから。

時空が同時的に存在するなら、ゲームの周回よろしく、主人公が色んな行動をした世界がそれぞれ存在する、という考え方も出来ます。

そもそも真3を先生エンドでクリアすると、「意思に従い、苦難の道を歩む、我と同じか。いずれ貴様の目の前にも、真の敵が現れよう。その日まで、その力を失うなよ」というメッセージが現れます。

それがプレイヤーに当てた、続編でるからデータとっておけ的な意味なのか、
主人公に対して当てた、再び東京受胎がループすることを暗示することなのかはわかりません。

しかし、多くの可能性、分岐していく世界の中で、1人でも本当のアクマになってくれる主人公がいれば、閣下的には万々歳なので、暇つぶし的に見てるだけ、というのも納得がいきます。


ここまで大きなことを考えると、鳴海が言ったように確かに虚しくなりますが、それでも尚、目先のことには、自分の周りのことには、せめて、精一杯「行動と責任」を持ちたいものです。

結局、自分に分かる範囲では、運命なんて本当にあるかどうか、我々の現実の世界ではなおさら、わかりません。
最初にいったように、自分の都合のよいほうに前向きに解釈すればいいのでしょう。




それでは、その、「自分」の範囲の運命、将来に「抗う」か、「受け入れる」か

まだ正直者ルートしかクリアしてませんが、是非他2ルートもクリアしようと思います。「正直者」では「抗う」ことで希望を見出しましたが、「受け入れる」者を犠牲にしました。

日和見者ではこれが逆になるので、「受け入れる」ことで希望を見出す、ということが大変気になります。

「きっかけ」と「行動」と「結果」と「責任」【デビルサマナー 葛葉ライドウ 対 アバドン王】 [考察 女神転生]

プレイした人ならお分かりでしょうが、アバドン王のシナリオはものすごく考えさせられるシナリオです。


何気ない選択肢のひとつひとつをとっても、一見して明らかにこっちを選択すべき、という選択肢は殆どありません。

現実的に考え、冷たくともはっきりと厳しいことを言うか、それとも相手を気遣って、オブラートな表現をしたり、理想じみたことを言うか・・・。

イヤなことははっきりイヤというか、空気を読むか・・・。

自ら切り開くか、何もしないか・・・。
抗うか、受け入れるか・・・。

事あるごとに、プレイヤーは自身の生き方、考え方を示す必要に迫られます。


世界を、現実を、周囲の出来事を「きっかけ」にし、自分で考え「行動する」、そして自らの行動の「責任」をもつこと。
当たり前と言われれば当たり前ですが、とても大事なことなのに、忘れがちなことです。

そして「きっかけ」によって自分で起こした行動は、新たな「きっかけ」となって影響を及ぼす。
「希望」にみちた行動が「きっかけ」となって、世界に「絶望」をもたらすこともある。



「運命を、将来を自ら切り開く」良い響きの言葉ですが、それが出来るほど強い人は世の中にはそれほどいない。
私自身、「ライドウ」ならばと、その選択肢を選んだりしましたが、何の力もない自分自身だったら、そんなことは言えません。
その力のない者に「将来を切り開け、運命には抗え」と言ってみても、結局は、打ちのめされ、将来に「絶望」してしまう。

シナドは言います、「希望を示すと、将来に希望を抱くと、結局は将来に絶望してしまう。ならば、将来を破壊しよう、絶望のない、深遠なる闇で穏やかに過ごすことこそが、人の子への救いである」と。

「行動」の「結果」に「責任」を持つことに恐怖するくらいなら、行動せず、将来は何も生まれず、責任も生じない世界、全てが止まった世界にしてしまえ、ということです。

そんなの逃避だ!!と言いたくなります。その通りです。「救い」とは、「逃避」とも言えます。自分で何もせず、他のものにすがる、逃避、責任転嫁と同じことです。
シナドの「救い」は、究極の現実逃避とも言えます。


人の子に希望を示し、人がしっかり現実に向き合って生きていけることを信じる「憂い」たシナド。

一方、希望を示したところでそれは絶望にしかつながらない、人の子はその程度の弱い存在であるから、将来を破壊して救済しようという「怒り」のシナド。

結局シナドとはなんだったのか、シナドの形をとったアバドン王とはなんだったのか、「人の在り方を示し、神の言葉を記した書物」(ぶっちゃけせいsy(ry)の、蝗害の魔王、アバドンと同一存在なのか、大いなる意思、閣下との関わりなど、よくわからないことも多いです。



また、「きっかけ」と「行動」と「責任」について説いたシナリオではありますが、「運気」というものの存在も認めています。
つまりは、「ついてる」、「ついてない」といった個人の運がまとまりとなって、社会の運気が形成される。


ちょっと矛盾なように思えましたが・・・、つまりはこういうことではないでしょうか。

「きっかけ」に対して「行動」すると、個人の運気の状態で、良い結果になったり、悪い結果になったりする。 ただし、どちらの結果に対しても「責任」を持たなければならない。 悪い結果に絶望し、責任を周りに、「転嫁」してはならない。

しかし人々の心はそれほど強くない。
運気が低下し、不運が蔓延すると、人々は絶望し、責任を周囲に転嫁し、行動することをやめてしまう。

だからこそ、人々の平穏を守るデビルサマナーは、人々の心に希望を示し、平穏な暮らしを守らねばならない。
ライドウの行動は、共に過ごした人々に対しては直接的に希望を示し、そして、多くの人々の平穏を守った。

アバドン王のシナリオは、私達に、今一度「生き方」、「行動と責任」について再認識させると共に、デビルサマナーの使命、存在理由を再認識させるものでした。

もちろん現実にはデビルサマナーなんて(恐らく)いませんし、アバドン王も(恐らく)いません。
私達の心が弱くてもアバドン王が降ってきたりはしませんが、身近なことについて「行動と責任」については意識したいものです。
弱音を吐いて責任転嫁しないように。

アリスの話&日ユ同祖論の話【デビルサマナー葛葉ライドウ対アバドン王】 [考察 女神転生]

最近ゲームするのが面倒くさくてしばらく放置してましたが、お正月ということでライドウ再始動!!

最初はかったるかったですが、エンジンかかってきました。今は悪魔の強化でまる一日つぶれるレベルまで回復[たらーっ(汗)]しましたヨ!!
ブレス4種&メ・ディアラマを修得したミタマでバースト合体!!たまりませんわ。

はて、攻略本も見ずにプレイし、徹底的にヤタガラスへの忠誠を誓ってきたので、性格は日和見者に思いっきり傾いている。がんばって風呂をのぞきまくること数時間・・・ようやく正直者に修正できました。一周目は正直者でクリアするのが何かと都合がよいのです。

とりあえずアリスちゃんに会ってきました。

わたしのおともだちになってくれる?

あのね~あのね~・・・じゃあ、し ん で く れ る?

なんでいじわるするの?うえ~~ん

はっきり言って怖い&恐い。
けど、
可愛い&可哀想・・・。

アリスはなにやら複雑で印象深い悪魔です。


強力な魔力を持つものの、アリスの心は普通の少女と変わりありません。(ん?ヨウじ(ry??そう呼ぶ人もいるだろう)
ただ単純に、ともだちが欲しいだけ。そう、永遠に一緒にいてくれる、自分と同じ、死人のともだちが欲しいだけ。
ちょ~っと保護者の教育のせいか、我侭なところもありますが・・・。

一方、強大な魔力をもち、メガテンシリーズでは魔人と呼ばれる希少敵としてもアリスは有名な存在でした。

魔人アリスと、東京の六本木で暮らしていたアリス・・・。この二者は、異なる存在だと思っていましたが、本作でそこらへんの理解ができました。

東京大破壊で死んでしまったアリスは、大いなる意思によって天に召されようとした。
ベリアルとネビロスは、そんな神の身勝手に怒った。
そして、アリスを自分達の元に置くことにした。超力兵団のエピソードでは、この戦いが終わったら、アリスと一緒に、静かな場所でずっと暮らしたいと、2人のおじさんは言っている。多分そこが、東京の六本木なのだろう。

しかし、悪魔として復活したアリスの幸せは、長くは続かなかったらしい。体を維持できなくなり、魂は飛散し、様々な時空をさまようようになった。
これが、様々な時空、あらゆるメガテン世界で目撃される、魔人アリスの正体なのでしょう。
細かく分かれたアリスの魂の欠片、それが、魔人アリスなのだと思います。

それにしても、ライドウで登場するおじ様がたは、わりと他人様に迷惑をかけないように気にしているようで。
真1の六本木では甘やかしまくりで、アリスの「おともだち」を量産してましたが・・・。

アリスにまつわる裏話は、どうにも悲しくなります。そんな可哀相な生い立ちを持つアリスなので、仲魔にして大切に育ててあげましょう。彼女が寂しさから我侭を言って魂を暴走させないように、そして、もう悲しまないように。


次、日ユ同祖論。

とんでも話に、イスラエルの失われた10氏族、あるいは12氏族すべてが、日本にきた、といものがあります。
もちろんとんでも話の域を出ないものではありますが、この手のネタ、メガテンの格好のネタとされます。
詳しく知りたい方はウィキペディア参照。

天斗紋は、生命の樹をモチーフにしている。

天津神は、ヘブライ神族の後ろ立てがあるらしい。そのため国津神は敗北した。

天孫降臨の神話が、渡来人による征服劇のことだと考えるのはわりとポピュラーなことです。
その渡来人がユダヤ人だった、というネタが日ユ同祖論。

天斗様たちのルーツも、まさしく長い迫害と放浪の中日本にいたったユダヤ人を強く思わせるものがある。

国津神は日本古来の神々。そして、天津神は、中東のヘブライ神族の分家のようなもの。
言ってしまえば、ヤタガラスも大いなる意思のもと、動いているのでしょう。
日本として独自の神を信じているわけでも、独自に動いているわけでも、ないのです。

とんでも話はあくまでとんでも話ですが、メガテンが料理すると大変美味しくしあがりますね。
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